ecrit
Text Size :  A A A
|  Diary  |  Cafe  |  Profile  |
人より8年遅れて大学院に入ったのと、才能のなさもあって、それは努力であがなうしかないと思ってきた。
もしくは期日を守るとか、なんかそういう、ちまちましたこと。
でも、世の中には才能も若さも体力もあるのに、どうしたわけか、やたらとのんびりしてるうさぎがいる。
個人的にはいろいろ事情があるんだろうけど、書くといった原稿を結局書けなかったり、
期日さえ守れないでいるというのは、マジ、どういうことか。
ゆとり世代の弊害なのか、個人の志向なのか。ともかく、いちどガツンと天罰受けとく必要がある。
なにはともあれ、本日学位請求論文提出完了。論文10本+前後で500枚少し。内容はさておき量はぼちぼち。
内依頼論文1本。全国誌2本。あと2本審査待ちなので、MAX4本。増えるといいが、まだわからん。
なんだかんだの果てに2004年に大学院に転がり込んで8年。
そこから日々さまざまな方々に支えられ、教えていただき、
なだめられ、しかられながら今日まで末席を汚しまくってくることができた。
なにもかも「教えていただいた日々」だった。
節々の、折々の出会いとご縁に、そしておおやけは師、わたくしにははにおに、感謝のほかない。
先輩に報告したら「これでスタートラインにたてたな」とのお言葉。
すべて吐き出して、いまはあたまからっぽ。ゼロに戻ってまた白紙から、いちからはじまる。

それにしても、キンコーズ (Click!) の仕事っぷりには、感動した。
毎朝6時に寝て正午に起床ライフ。いろいろおかしくなってるが、もういまはこれでいい。
煮詰まるとふと、人生の各場面が脳裏にフラッシュバックして、私の人生いま最終回なのかとおもう。
場面は差し出された花束や香水の香りやシャボン玉の表層やお香の白煙や閉めたドアの音や窓からふと眺めた景色や炭酸の泡やリネンのザラザラ感やだれかのなんかのときの目と手つきなど。
脈絡がなくて劇的な場面でもない。たぶん日常のちょっとした印象の風景なんだろう。
人間の人生の、これという場面は、反芻されすぎてたり、過剰に物語化されてたりして
案外神も宿らず、おもしろくもないものかもしれん。
過去にどれほど愛してた人も、わたしはすべてわすれてしまう。この間は名前が思い出せなかった。
そんなものだ。それでいい。いまあるもの。いま愛するものを、いま見ていることだけが、私にはとうとい。
留学生のレポートを読むのはいつもたのしみだ。
着眼点や方法、思考の割り方、感じ方がまるでちがう部分があって刺激的。
いつも大雑把な課題を出すのだが、みな個性的なレポートを書いてくる。
エビスビールのラベルに描かれたへんなおじさんは誰?という疑問から七福神の文化史をテーマとした学生。
お化粧好きな日本女子に不思議を感じてキャンパスで聴きこみ調査をした学生。
ドラマや映画の京都ロケ地を巡り歩いた学生etc。
他の大学では留学生にレポートを求めたらコピー&ペーストだらけで手を焼いたが、こちらの大学はその心配なし。
それもまた、うれしからずや。
学生のレポートは彼らが学んだ結果だが、それを評価するわたしが、実は一番多くを学ばせてもらってる。
多くの学生は帰国してしまうらしいが、彼らの役にすこしでも立てたのだろうか。
また日本においでね。
また風邪をひいた。法則として2週間半に1度風邪をひくらしい。
寝てると、ひまだ。本を読めたらいいが、読めるほど集中力がないときは、ぽつねんと静かな部屋で横臥する。
テレビ買うかな。どうしようかな。消去法で考えると、テレビが必要な理由はみっつ。
まず「平清盛」をリアルタイムにみたいこと。松山ケンイチ好き過ぎる。
つぎに病気の時にひまだということ。
最後は会話能力が低いくせに長尻な客がきたときのコモリ要員として。
「テレビなしの子育て」をもくろむはにおにとっては、挫折なのだが。さて。
nikiniki (Click!) のお菓子。
毎月趣向が変わります。
生八橋でできた、ちいさな世界。
世間の目はただしいかそうではないかを措いて、そのように理解されている現実を示す。
たとえば、我が家は100対0の力関係でわたしがはにおを尻に敷きまくっていると思われてる。
しかしはにおの方が気性が激しく、短気で、情熱的で、攻撃的で、言い出したら100%引かず、ドSで、
他人の意見など神の声でさえ聞き入れない人だ。まあそこが面白いし、気にならないんだけど。
ヒツジのふりした肉食なのに、普段はヒツジに食べられる草に見える。
ただ、見た目がおだやかなのと、人にそういう姿を見せない姿勢が一貫してるので、わからないのだ。
私とくち喧嘩しても一歩も引かず、冷静に弱点を一撃して勝つ男は、はにおのほかにいなかった。
とくなんだよなあ。
私は黙って立ってても被害妄想盛んな人に「攻撃されてる」と感じさせるたちだ。理由はわからん。
そんなんだよなあ。

博士論文10本目完成。しかしある1本の論文はどこに出しても暴論とされてうけいれてもらえない。
問題に固執するより離れるか。書き方や他に問題があるんじゃなくて、論旨がダメらしいが。
自分には確信があるので、ぜったい譲れないんだなあ。

最近「デスパレートな妻たち」 (Click!) を連続視聴してる。アメリカ人の自己主張ってすっげえ。
トラブルが起こると決まって言うのが「悪かったわ、でも私が悪いんじゃない。あなたがいけないのよ」
いいなあ、「あなたがいけないのよ」って言える民族。なんだって他人のせい。さすが世界警察アメリカ。
白黒はっきりつけるどころか、白と黒の色素構成要素まではっきりさせたい民族。
私は「たとえボコボコに殴られても、相手に殴らせる罪を犯させた自分が悪いと思いなさい」と教育された。
つまんない和風原罪意識を植え付けられたものだ。そんなドS精神、自分を損なうだけで何の役にも立たない。

今年は英会話を再開する。体を鍛える。去年の目標「否定的発言と悪口を言わない」はいまだ継続中。
ネガティブな発言や悪口を言うことは、実はその対象に深くかかわること。
なんであれ、それで自分が死ぬほどのことじゃなきゃ「ふーん」で放っておく。
それが最も必要なのに、最も難しいのが、夫婦関係。
はにおが3日間ガスのゆる火で黒豆炊き続けても、カレーが続いた翌日、カレー粉とスパイスでまたカレーをこしらえても、考えてる研究内容を家中ついてきて背中に話しかけられても、お風呂に入らず疲れてデスクで寝てしまっても、探究心ありあまって予算オーバーな買い物をしても、我が家は放っておく。
それをしたいとはにおが選んだ以上、それは誰にも止められないから。阿呆じゃなきゃ、いずれ自分で気づくから。
だからはにおもわたしに何も言わないし、自分の要求を押し付けない。
放っておくのは、信頼がないとできないことなので、実はいちばんしんどいのだけど。
「何も言わない」ことが万事を丸く収める手段だなと日々実感してる。
謹賀新年。今年もよろしくおねがいします。新年早々カップル離別の話を数件。裁判の話も小耳にはさむ。
どこのカップルもわかれるつもりでいっしょになるわけないんだけど、happy ever afterってわけにはいかんよう。
仲よさそうにふるまってても、偽装夫婦ってわかるもんです。
1人でいても、夫婦円満ってわかるもんです。なんでなんでしょうね。
結婚は人間の学びの中でもっとも深い学びをもたらすもの。妥協と協調を学ぶ機会。
ということは、相手にどこまで譲れるかを試す機会。幸福になる相性だけが結婚するんじゃないしね。
仇の場合も敵の場合も、ある。それこそが神の配慮。およびいたずら。

「自分はこうなんだ」とつっぱるのが、いいことみたいに思ってる人、いる。
そういう考え方は2011年以前のもので、今後はもう、通用しない。
相手になにか譲ったって、妥協したって、死ぬほどのことじゃない。
相手と決裂してまで通さなきゃいけない筋なんか、人生にはない。
そういう状況にでくわしたら「あんた、譲れるか?」と天に試されてると思えばいい。
そういう考え方が気骨だと思っているとしたら、幼児性が強い証拠。
困難な状況にでくわしたら、するりと妥協することが、だいじ。

今年は分裂しながら互いに譲らぬめんどくさい年となる。世界中リーダー更新と選挙になるのも、自然の理。
そういう中で、水になびく藻のように、ひょろーん、と生きることが、だいじ。
八坂神社に〆参りにいき、おみくじ1番大吉いただきました。スサノオさんありがとう。
八坂・三輪とは相性がよく、2年で5回の1番大吉をいただいている。
さあ、おみくじだけではなく、もっとこう、社会的で具体的な神恩措置を、と思うのも罰あたり。
どうにかこうにか、家族がみんな穏やかに過ごせたことに感謝。
今年お見送りしたちかよちゃん、直子さん、佐々木さん、はにおグランマ、祇園のマスター。
いろんな意味で、どうもありがと。そちらにいったらまたあそんでね。
今年は我が家引越、親引越、弟引越、祖父母宅改築など「家」にまつわる年になった。
気の流れとして、今年は「家」という入れ物を更新できるかどうか天に試された年。
来年は人間がさらに自分の思想、志向に固執し、細かくなる年。
細かな対立が増えることで、謙虚さ、協調、妥協を学ぶ年となる。水位の変化もありそうな。
翌年の気はすでに8月から流れるので、8月以降、目上の人から不当に叱責されたり、
状況をよく知らないまま頭ごなしに怒られたり、ということ、世間に増えているんじゃないだろうか。
ま、これも流れですから、しかたないですね。
来年、個人的には大きな変化の年となりそう。目標は「からだをきたえる」です。
みなさまどうぞ、よいお年を。
風邪、ようやく治ったと思ったら、入れ替わりに腰痛。いったいいつなら、健康なんだ。
腰はバレー部にいたときに痛めて鍼治療に通って以来、なにかあると暴れる古傷。
靴下やブーツが自力ではけず、妊婦および腹の出たデブの気持ちを共有する。
はにおにはかせてもらうも、帰宅時不在だと脱げやせん。どうすりゃいいんだ。
デスクに座ることもできないので、立って論文書いていたが、当然ながら書きにくいので、膝立ちで書いてる。

そもそももっと早くからがんばっていたら、こんなことにはならなかったのだ。
丈夫ではない人は「やや丈夫~比較的丈夫」期に、まとめてががっと仕事をしておく必要がある。
夏はあんなに、絶好調だった、のに。
「ステキな金縛り」 (Click!) を観る。
三谷幸喜の映画ははずれなし。西田敏行ってなんでもできてほんとにすごい。
映画は、ただゲラゲラと笑い、美しいと感じ、ほろっとくる甘さと苦さを残すものが、いい。
これでもかの戦争暴力映画や、これでもかの不倫どろどろ性愛映画は、つかれる。
日常がそういうものに満ちていた時、なんでお金払ってまでそれを追体験せねばならんのだと思った。
「愛の流刑地」や「失楽園」が流行ったのは、平和な証拠。
観客の奥さまお嬢様方の性愛生活が(刺激的ではないという意味も含めて)安穏なる証。
だから外部からそういう刺激を注入して、人生のバランスをとるんだろう。
いろんなことがあった今年、映画は本当に映画らしい映画、
エンターテイメント性あふれる、温かいものであってほしい。
ともかく、これは傑作。はにおとゲラゲラ、思い出し笑いしながら、幸せな気分で帰宅した。
今週はクリスマスウィーク。キッズ・ボッサ (Click!) とルグランのクリスマスオムニバス (Click!) をヘビロテ。
実は、サンタは10歳まで信じてた。父の携帯にサンタの電話番号は入ってるとか、
サンタは去年引っ越したと聞いたけど転居通知をもらったとか、
サンタの奈良支部に申し込むとプレゼントが親経由でくるという小芝居がとっても真実っぽかったから。
今年はリースもツリーも用意できなかったけど、来年は用意しよう。
クリスマスのもつ色彩と雰囲気が、かなりすき。
「日本人がどうししてクリスマスなんか祝うんだ」という声もよく聞くけど。
わたしのクリスマスは「家族・恋人・親友で互いをねぎらう今年も1年おつかれさま会」。
大みそかの1週間前というのも、ちょうどいい。
自分がこどもを持ったなら、やっぱり小芝居うって、だましてみたい。
はにおにはセーターを。はにおからはバターバー&セージのアロマオイルを数種類贈られる。
バターバー&セージのアロマオイルはアロマ界の最高峰。眠る前、これを焚いて眠るのが我が家の習慣。
クリスマスは記念行事をするのも我が家の習慣。バレンタインはチョコと薔薇を贈るのが我が家の習慣。
こういうことをしているから保守的なロマンティストと言われるんだけど、でも悪くはない。
こういう行事を積み重ねることは、家族にはとてもだいじだと思うから。

自分のことが大好きな人がいる。
その人にとって自分は最高かつ至尊であるゆえに、みんなに好かれて当然、となる。
その人にとって自分が正義のメートル原器であるゆえに、自分の意に逆らう人間は人間ではなくなる。
その人にとって自分が全てにおいて優位であるから、他人のありようはすべて批判か嫉妬の対象になる。

謙虚さがないから嫉妬する。嫉妬は相手を自分の位置まで引きずりおろしたいという衝動から発生する。
よって嫉妬することはその行為によって「私はあの人に負けている」ことを認めているのとおなじこと。
嫉妬ほど不毛なエネルギーはない。それによって自分が悪と不運の山手線にはまりこみ、
人生の悪循環から発せられる諸条件の加味でより以上にぶさいくになるだけだ。
カーネーションのお医者さんがこう言っていた。「虫も病気も、全部弱いトコへとよってくるんや」と。
社会や人の醜さ、俗悪さはじゅうぶん認識しながらも、
それでもはやり生きる限りは美しいもの、やさしいものに目を向けていきたい。
嫉妬するぐらいなら自分の不足を見つめて原動力にするほうが、いい。
人の、社会の、こういうところが嫌いなのよ、いけないのよ、ゆるせないわ、的な発言は
たとえそれが社会運動でもニュースの解説でも、聞いてて疲れる。
「そんなに言うならやいやい言わんとあんた1人でどないかしなはれ」と思ってしまうのだ。
私は市民運動には向いていないだろうな。
ネガティブな人はまとう空気もネガティブだが、ネガティブな言葉はさらに万物枯死の力を持つ。
そんなものに近寄ったら、さらりと身をかわして、流すのが、いい。